避けられない道、というものがある。たとえばマイクロソフトが提供している表計算のソフトウェアである、エクセル。これは表を作るときには重宝するソフトウェアだが、表を作るためだけに使うわけでもない。高性能な電卓の位置づけで使えたりもするので、とっつきやすい。とっつきやすければ触りやすいし、使う機会も多くなる。多く使っていれば、やがて自分が作った表の見栄えにもこだわるようになり、そしてセルの結合、というものに手を出す。
大体、これで困る……。
「豚からあげ丼、おいしかったよ!」
「え? 作ったの?」
大学の昼休み。いつも通り3人集まったところで、女性の友人がにこにことした顔でそう言い、眼鏡の友人が驚いたような顔を向けた。たぶん自分も同じような顔を向けていたと思う。
「だって簡単だったし。揚げた豚肉と茄子に、大根おろしとポン酢のさっぱり感でぺろりと食べちゃった。豚コマでやったから、お値段もお財布にとっても優しいし。やすいうまいはやいを体現したご飯だよ!」
「まじか、いいなあ。俺も久しぶりに食いたいな」
父の手料理として紹介したが、父の手料理じゃなくても食いたい。あの丼自体が好物だからだ。
「俺も興味があるなあ。でも家で揚げ物はなあ……」
眼鏡の友人のつぶやくような言葉に、同意してうなずく、自分で作って食べることができるなら、ぜひともそうしたい。が、自分で作るにはハードルが高い。メガネの友人と同じだ。揚げ物は、正直避けたい。
「ところで、今日のお弁当は何かな?」
「え? ウインナー弁当だけど?」
そう言いながら、自分で作った弁当のふたを開けて見せる。焼いたウインナーと白飯という、男気溢れた弁当だ。二人の友人にあやかって、弁当を作り始めてから早幾日。正直クオリティはまだまだだが、将来性のある弁当と言えるだろう。
「交換しない?」
にっこりと笑って、彼女は自分の弁当のふたを開けた。そこにあるのは豚の唐揚げに茄子の素揚げがのったご飯。
「豚からあげ丼!?」
「食べたがってたからさ。ほら、これもあるよ」
さらに取り出したのはタッパー。中にはポン酢が混ぜられた大根おろし。
これと、自分のウインナー弁当を交換してくれるというのか? 何を迷うことがあろうか!
「……おお女神よ。あなたのお恵みに感謝します」
「うむうむ。くるしゅうない」
頭を下げ、喜んでウインナー弁当を捧げた自分に、友人の楽しげな声が降る。
「えーと、一応聞くけど、俺のはないんだよね?」
弁当を交換していた自分たちに向って、眼鏡の友人が暗い声で言った。ない、と思っている声色だ。
「お弁当を二つは作れないよー」
にっこりと笑う友人と、がっくりと肩を落とす友人。予想が当たっただけなのに、あわよくばという気持ちがあったのだろう。見ていて気の毒になるほどの落ち込みようだ。自分で言うのもなんだが、豚からあげ丼、人気あるな。少し誇らしい。彼にも食べてもらいたいという気持ちはあるが……しかしこの弁当を譲ることはできない。許せ。
心の中で眼鏡の友人に謝っていると、彼女はカバンから新たなタッパーを取り出した。
「だから味見程度ね」
彼女の言葉に顔をあげた眼鏡の友人が、彼女からタッパーを受け取る。それは小さなタッパーで、蓋をあけると少しのご飯と少しの豚からあげ、そして茄子の素揚げ。それは、ミニ版の豚からあげ丼だった。
「大根おろしはさっきのをいっしょに使ってね」
「おお、女神よ!」
「うむうむ。くるしゅうない」
タッパーをささげる友人は、今にもひざまずきそうだ。たぶん、さっきは自分もこうだったのだろうと思う。よかったな、眼鏡よ……。
というわけで、憂いなく弁当を完食した。
「久しぶりに食った。うまかった」
豚からあげ丼を口にして、感じたことがある。普段家で食べていた食事は、これまでの人生の中で当たり前のようにあったもので、そういったもので自分の身体は構成され、味覚も育てられてきていたのだ。
なんというか、乾いた身体に水がしみこむ、そういうような印象すら受けた。口には出せないが、一人暮らしを始めてそれなりの時間が経ち、どうやら実家の食事というものを少し恋しく思っていたらしい。たまにしか作られなかった父親の料理でこれなら、母の料理はさらに懐かしく感じるのだろうか。
今度電話して、何かレシピを聞いてみよう。
「お粗末様でした。ウインナー弁当もおいしかったよ」
「いやいや。粗末なものと交換してもらって感謝に絶えん。何か困ったことがあれば必ず力になりまする」
「俺も俺も」
「ほんと? ……じゃあ、ちょっと課題について相談していい?」
そう言って彼女が相談してきたのは、エクセルについてだった。授業の課題に使っていたところうまくいかないところがあったらしく、もし知っていたら教えてほしいというもの。
課題の中身ではなく、エクセルの使用方法であれば、もしかしたらわかるかもしれない。
そもそもエクセルは、マイクロソフトが提供している表計算のソフトだ。
四則演算も簡単で、”=1+1” と入れれば、答えが2と返ってくる。”=2-1”といれれば、答えは1と返ってくる。”=2*2″で4。”=6/2”で3。べき乗なんかもできる。”=2^2”と入れれば、4と返ってくる。
それだけではない。関数を使って、もっと複雑なこともできる。1か月の収入を12か月分いれて、その総計を簡単に出せたり、1年で5%収入が上がると仮定して、10年後の収入を計算したりとかも簡単にできる。
表計算のソフトだから複雑なこともできるけど、当然簡単なこともできる。自分も一人暮らしを始めて家計簿的なものを作り始めたので、重宝している。
このエクセルだが、表を作ることができるだ買って、当然文字も入力できる。この時、見栄えをよくするためによく使用するのが、セルの結合というものだ。
例えば次の表。

これを見栄えをよくするために、セルの結合を使うと、こうなる。

自分で計算をするためではなく、人に見せるための表を作成するときに、よく使う機能だろう。
「課題として提出するから、ちょっと見た目をよくしようと思って使ってみたんだけど、うまくコピー&ペーストができなかったり、並び替えがうまくいかなかたり、あとフィルターが思った通りにできなくなっちゃったんだ」
「なるほどなあ。誰もが通る道だな」
セルの結合をするとよく躓くやつだ。自分もつまずいた。つまり経験済みというやつだ。
例えばコピー&ペースト。以下のAと2だけをコピーしたいとなっても、それはできない。

この場合、Aと1,2,3すべてが選択されてしまう。またセルが結合されているところには、同じ形の結合したセルしか貼り付けもできない。ちょっとドラッグして位置をずらそうとか、そういったこともできない。形が固定されているので、そういう塊としてとらえる必要がある。
並び替えができない理由もおなじだ。例えば以下の場合、全体領域を選んでBが上に来るように並べ替えをしようとしてもできない。選択範囲のすべてのセルの形を合わせるように、とエラーが出る。塊を崩すような動きをしようとすると、うまくいかないのだ。

フィルターがうまくいかないのもセルの結合が理由だが、その実態を考えると分かりやすい。例えば、上記でAをフィルターしようとするとこうなる。

なぜこうなるかというと、セルの結合をするときにこんなアラートが出るのが理由だ。

つまり、結合されているセルの実態は、以下となる。

セルの結合は見た目を変えているだけなので、上記にフィルターをかけたと考えれば、動きとしては正しいことになる。
「そういうことなんだ……」
ノートに簡単な絵をかいて説明したところ、彼女はしきりにうなずいていた。
「で、どうすればいいんだ? この機能をつかわない、が正解?」
同じようにノートをのぞき込んでいた眼鏡の友人の問いに、うなずいて見せた。
「個人的にはまあ、あまり使わない方がいいと思う」
そういいながら、ノートに表を書く。

「結局、こうしておいた方がが汎用性もあるし、応用も効くと思う。もしセルの結合を使うのであれば、本当に最後の最後、もうデータ処理をしない、ぐらいになってからの方がいいと思う」
「そっかー。じゃあ一度、セルの結合をやめた方がいいんだね。まだいじるし……」
「でもセルの結合したら、結局フィルターはダメなんだろ? 見せるときにフィルター掛けたくなるんじゃ?」
「一応、フィルターだけ、何とかする方法がなくもない。セルの結合を使うと中身スカスカになるけど、そのあとでまたはりつけてやればいいんだ」
つまり、結合したセルに対して、同じ値をさらに数式貼り付けしてあげればいい。

上記をやると、中身は以下に変わるため、フィルターで意図したとおりに絞れる。

「でも毎回個別にやらなきゃならないし、結合したセルを見ただけでは中がどうなっているかはわかんないし……セルの結合は使わないというのが個人的おすすめだな」
「なるほどー。勉強になった!」
「俺もはまりそうな落とし穴だった。感謝!」
どうやら彼女のもちろん、もう一人の友人の役にも立ったようだ。
しかしこの程度じゃ豚からあげ丼の恩には届かないように思う。
何か考えるかなあ。


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