自分のことを頭がいい人間だ、とことさらには思わない。それなりに人生を歩み、20年ほども過ぎれば、世界は自分を中心に回っていないことをいやでも知るし、自分よりも優れている人間が山ほどいることも知る。言っちゃなんだが自分は凡人で、そして世界の大半は凡人だ。
しかし不思議なもので、自分のことを頭が悪い人間だとも思わなかったりする。自分が間違えたことをしたり、だまされたりはしないと根拠なく思っている。自分は普通であって、頭が良くも悪くもない人間で、自分よりも優れている人は山ほどいて、けれど間違ったり騙されたりするようなことはない。そう思っている。
人間というものは、矛盾した生き物である。
「最近あったんだけどさ。夜に行ったお店が閉まってたんだよ。その店、いつも夜の10時に閉まるけどその時は8時だったから、空いていると思いこんで行ったわけだが」
「……いきなりどしたの?」
いつも通りの昼休み。ベンチに座ってもそもそとおにぎりをかじりながら、思い出したように口を開くと、眼鏡の友人が怪訝そうな視線を向けてきた。ちなみにその手には新しい弁当箱を持っており、今日のメニューは豚の生姜焼きらしい。弁当持参がしっかり続いてすごいと思う。ちなみにそれに感化される形で作ったおにぎりを、今自分はかじっている。おかずはない。
生姜焼きうまそうだから、今度挑戦しよう。
「論理、ってやつだよ」
「どういうこと?」
もう一人の友人が首をかしげた。彼女の手にあるのは、自分と同じくおにぎりだ。具はどうやらから揚げマヨっぽい。形も整っているし、海苔もまかれているし、自分が作った歪なおにぎりとの差を感じざるを得ない。はるか先を行くおにぎりは、自分が手にするものよりとてもうまそうに見える。
「自分のあの時の判断が、論理的に間違ってたって話。……あのさ、おにぎりひとつ、交換しない?」
「え? うん、いいよ。わたしもそのおにぎりに興味あるし」
ダメ元でお願いすると、あっさりとうなずかれた。マジか。超うれしい。女神……。
「ええと、拝まなくていいから。はい」
「ありがとう」
差し出されたおにぎりを受け取り、代わりに自分のものを渡す。そしてひと口かじる。
うまい。自分のものとは雲泥の差がある。具の違いではなく、おにぎり自体の差が大きい。
彼女も手にしたおにぎりをかじり、うなずく。
「うんおいしい。自分が作ったものよりも、ほかの人が作ったものの方がおいしく感じるのは何でかなあ」
「え? 俺のより、こっちの方が圧倒的においしいけど? それ、いろいろと足りてないおにぎりだろ」
「うーん。確かにちょっと塩が足りてないとか、ご飯をもう少し硬めの方がいいかもとか、そういうのはあるかもだけど。でもおいしいからいいんじゃないかな」
「そ、そうか。そう言ってもらえると、なんかうれしいもんだなあ」
顔がにやつくぞ。
「仲いいね君たち。俺もおにぎり作ってくるべきだったか……。で、さっきのは何の話なの?」
「おお、そうだった。論理だよ論理」
眼鏡の友人の言葉に話を戻す。
「いつも夜10時に閉まる店は、夜10時以前なら空いているって自然に考えちゃったんだよな。それがどうやら論理的に間違っていたってやつらしい。早く店じまいしたとか、臨時でお休みしたとか、そういう可能性もあるのにさ」
夜10時に閉まる店。つまり夜の10時以降であれば店は閉まっているということになる。それを前提に、夜の10時以降でないならその店は開いている、と考えることは誤りだということだ。
論理的に正しいとは、きちんと筋道を立てて考えられていること。そこに間違いや矛盾がないことをいうらしい。その一つに演繹というものがあり、一つの前提が正しい時、その前提から導かれた結論も正しいことを言う。
・その店は夜の10時を過ぎると閉まる。今は夜の10時以降だ。だからお店は閉まっている。
しかし、次は誤りだ。
・その店は夜の10時を過ぎると閉まる。今は夜の10時以降ではない。だからその店は開いている。
「さらっと聞いてると、結構きづかないかもしれないね」
「逆、裏、対偶ってやつだね」
二人の言葉にうなずく。
逆、裏、対偶とは、簡単に言うと次の通り。
AであればBというものがあった時、
逆:前と後ろを交換する。BであればA。
裏:どちらも否定する。AでなければBではない。
対偶:逆と裏をどちらも実施する。Bでなければ、Aではない。
先ほどのお店に当てはめると、次の通りになる。
その店は夜の10時を過ぎると閉まる=10時を過ぎると、その店は閉まる。
逆:お店が閉まっているから、今は夜の10時以降だ。
裏:今は夜の10時以降ではないから、お店は閉まっていない。
対偶:お店が閉まってないから、今は夜の10時以降ではない。
ここから論理的に正しいといえるのは、対偶:お店が閉まってないから、今は夜の10時以降ではない、ということだけになる。夜の10時以降以外にも、お店が閉まっていることはあるからだ。開店前とか定休日とかがそうだ。しかし夜の10時に店が閉まることが確定ならば、夜の10時以降にその店が開いていることはない。それ以外の選択肢がない。
「数字で考えるとわかるのに、文章になると分かりにくいね」
「1+1=2だけど、2=1+1じゃないもんな。1+1じゃなければ、2ではないってこともない。3-2でも1になる。でも答えが2じゃないなら、1+1はありえない、ってことだな」
二人がうなずく。
「習ってるはずなのに、実際に使いこなすのは難しいよね。すぐにごまかされちゃう」
「人間ってそんなもんだよな。んで、そんなもんだってことを知っているかどうかは、きっと大きいんじゃないかと思った」
「……おお、賢者の言いようだ。どのゲームからの引用?」
眼鏡の友人がにやりと笑う。確かにゲームとか漫画とかで目にしそうだが、実体験だっつーの!
「リアルでもそういうものが自分の中に降ってくることはあるだろ。ラーメン食いたかったっていう俺の欲望がそれを導いたの!」
「そのお店は、ラーメン屋さんだったんだねえ」
自分が渡したおにぎりを完食した友人が、しみじみとつぶやいた。
孫の話を聞いてるおばあちゃんみたいな反応、やめてください……。


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